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Vol. 03

〜元プロ野球選手・川上憲伸さんに学ぶ「革新の心得」〜 挑戦の原動力を生むのは、自分を信じ続ける心。

日々挑戦を続ける技術者たちにエールを送るべく、元プロ野球選手の川上憲伸氏を招き京都タワー大会議室で講演会を実施。新しいことに「挑戦」することの大切さや、伝家の宝刀「カットボール」誕生までの苦難の道など、トップランナーで走り続けたプロの世界での様々なエピソードを惜しみなく語っていただいた。

profile

川上 憲伸 (かわかみ けんしん)

徳島商業高校、明治大学を経て、1997年にドラフト1位で中日ドラゴンズに入団
1年目にして14勝を挙げ新人王獲得、2002年史上70人目のノーヒットノーラン達成
2004年最多勝でリーグ優勝に貢献、沢村賞やMVPなど9つのタイトルを受賞
2006年リーグ優勝、2007年日本一、2008年北京オリンピック日本代表で活躍
2009年メジャーリーグ挑戦、MLBアトランタ・ブレーブスにて先発ローテーションを担う
2012年中日ドラゴンズ復帰、2017年引退発表、現在は野球評論家として活動中

夢への挑戦

徳島商業高校入学後、甲子園ベスト8以上を目指し日々努力を重ね、高3夏にエースとして活躍し見事ベスト8進出、念願の明治大学入学を果たす。
甲子園ベスト8という、具体的な目標設定が努力の原動力となり、厳しい練習にも耐えられたと振り返る。

よきライバルは成長の礎

明治大学硬式野球部は、全国で活躍していた選手が多く集まるチームで、常に「勝ち技」が求められた。高校までの監督や学校の指示に従う受動的な努力ではなく、「自己表現のための能動的な努力」の重要性を学んだと語る。
選手層の厚い中で自己研鑽し、大学2年時には先発の一角を担い、慶大 高橋由伸氏とのライバル対決が話題となった。
高橋氏とはプロ入団後もライバル対決が数多あったが、学生時代から痛打されないためにどう攻めるか、何を武器に戦うべきかは常に自問自答していた。

挫折と栄光

プロ入り後、1年目14勝/新人賞獲得で順風満帆に見えるが、その後ケガなどにより低迷時期が続く。プロ野球人生をかけ、当時日本で誰も取り入れていなかった最新鋭の治療を求め渡米、そこで観戦した試合で「手元で動く」球に衝撃を受けた。
日本で手本となるヒトはいないため、画像を見ながらの試行錯誤、キャンプ等で練習を積み重ね、当時捕手の谷繁氏命名「カット」が誕生した。
悩みながらも努力を続けることで、ケガという挫折は成長するチャンスへと変わると川上氏は強調する。

未知との遭遇(メジャー挑戦)

2009年にメジャー挑戦、「現役を引退する前に、もう一度挑戦者になりたい」という気持ちがあったと回顧。
そこで学んだのは、努力の方向性/やるべきことを定めるにあたっての考え方の違い。常にKenはどうしたいのか?と問われ、他のヒトにはない自分の個性/武器をどう磨くかを考え続けた。
メジャーでは、自己主張する「主体性」の大切さと、失敗しても次に成功するための「挑戦」する姿勢が何より重要だと再認識した。

最後に

川上氏は講演の最後に「自分を信じて進み続ければ、すべての目標は必ずクリアできる」と社員に熱いメッセージを送った。
異なる視点を取り入れ、自分の軸を持ちつつ視野を広げることで、「主体性」をもって「挑戦」する姿勢とその努力は「革新」へと変わると力説。
本講演は、技術開発にも通じる「革新」の心得を多く得られる内容で、参加者からは「挑戦し続ける気持ちが大切だと改めて感じた」との意見。感謝の声が上がった。